Xで米つん(@komekometun3578)の素敵な企画を出してくれたのでそれに便乗し、この機会に文章を書いてみることにしました。
こんな風に書くのは何年振りだろうか、、むしろこんな日々の中で書くことなんてできるのだろうか、、と思ったりしましたが、「やってみよう!」ということで参加させていただきました。
最近はPCを"眺める"ことはできても何かを"入力"することはほとんどしていなかったので、このような機会をいただけて大変感謝しています。
そして、ここ数ヶ月「書く」という作業から離れていたので、元々文章がチグハグなのにさらに読みにくい文章になっているかもしれませんが、温かく読み進めていただけると嬉しいです。
さて、本日、出産してちょうど3ヶ月となりました。
産業保健職で成るアドベント企画ですが、2024年は子どもが生まれた記念すべき年になったので、妊活を軸にして仕事や大学院のこに触れてみたいと思います。
ちなみにですが、このブログは産業保健師2〜3年目の頃に立ち上げたものです。
ここ数年全く書かず手入れもせずの状態でしたので、他の記事を読むと色々と思う方もいらっしゃるかと思います。
これを機にお手入れしようとも思いましたが、この記事を書くだけでも精一杯の日々なので、特に何もせず、こちらの記事だけ新規投稿しています。すみません。。
最初に
私は一度離婚の経験があり、38歳のときにニ度目の結婚をしました。
離婚後、当初はこの先ひとりで生きていく可能性が高いと思い、それがさらに産業保健に没頭するきっかけにもなりました。
大学院に行ってみたいと考え出したのもその頃。
とにかく日々産業保健のことで頭がいっぱいという、何ともおかしな状況でした。笑
でもその後、不思議なことに、一緒に生きていきたいと思える人ができてしまったので、二度目の結婚に至りました。
形にはこだわらなくても良いと思っていましたが、何かあったときには家族でないと関われないこともある、チャンスがあるならこの人との間に子どもが欲しい、といったことを思い、結婚に進んだのでした。
そして、すでに高齢だったため、子どもを持てる体かどうかがわからなかったこと、できるならなる早で子どもが欲しかったことから、パートナーと相談し、入籍後すぐに不妊治療のクリニックへ行ってみることにしました。
これが妊活のスタートです。
仕事と妊活
結婚を機に仕事の形態をパートに切り替えましたが、不妊治療でかかるお金や子どもが出来た後の生活諸々のことを考え、以下の条件を挙げて再度転職に臨みました。
・正社員として働き、育休取得しつつ仕事を継続できるようにしたい
・泊まりでの定期出張は避けたい
・突発的なことに対応できるよう、フレックスタイム制(できればフルフレックス)を活用したい
・時間を捻出できるよう、テレワークもできるようにしたい
・お給料は以前よりも減らなければ尚良し
・残業はそこまで多くない(自分でコントロールできる程度)
こんなわがままな条件を満たす求人があるのかと思いましたが、運良く&タイミング良くそんな求人を見つけてしまったので、早速応募し、今の職場に入りました。(こんな求人に巡り会えたのも、入れたのも奇跡!笑
入職時にはすでに不妊治療を開始していたので、入ってから1ヶ月前後くらいのタイミングで、妊活・不妊治療をしていること、通院のために休みや早退する可能性があること、治療の影響で体調が悪くなる場合があること等を上司へ伝えました。
その段階で休んだり体調不良を来すことはまだありませんでしたし、業務には特に影響を及ぼしていませんでしたが、そのときになって急に伝えるよりも前もって伝えておいた方が良いと思って、そのようにしました。
このとき上司から言われたのは「どうして今(年齢を重ねてからの)不妊治療なの?」ということ。
その質問は上司としてどうなの?と思いましたが(笑)、そう思われても仕方がないので、ある程度のプライベート事情も伝え、理解を得られるように話をしました。
それから今年出産するまで、1年半程度不妊治療のクリニックへ通いました。
でも昨年二度流産してしまったこともあり、後半は不育症のクリニックへも同時通院しました。
プライベートなことですが、通院のタイミングは主治医から指定されて仕事と重なってしまうので、都度上司へ状態・状況を伝えながら治療を継続しました。
幸い、フルフレックスだったので時間はある程度融通がきき、治療によって体調を崩すことも無かったので、不妊治療による業務影響は少なかったように思います。体調への影響が無かったことはとてもラッキーだったかなと。
ちなみに、上司へ伝えることはある程度仕方のないことなので割り切っていましたが、少し嫌(というか面倒)だったこともあります。
それは、上司が半年ごとに変わり、その度に妊活・治療についてを伝えなければならなかったことです。
上司間でも多少は申し送りされていたと思いますが、どのようなニュアンスで、どのような内容を伝えられているかはわからなかったのと、こういったことは上司からも話しにくいことだろうと思ったので、毎回自分から声をかけて話しました。
ありがたいことに、上司はみんな優しい人で、私の状況を受け止め受け入れてくれました。
大学院と妊活
大学院への受験を決めたのは昨年の11月末でした。
不妊治療は継続していたので、治療や育児と大学院との両立には多少の不安がありました。
ただ、ニ度の流産の後で、この先いつ子どもが宿るのか、その願いが叶うかどうかもわからない状態だったので、子どもが生まれたら大学院に行こうとは思えないだろうから、それなら今のうちに行ってしまおうかなというノリで、お世話になっていた産業保健領域の先生からの声掛けを機に、大学院進学を決意しました。
もちろん、パートナーへは最初に相談しました。
・大学院に通いながら仕事を継続しようと思っていること
・大学院までは家から2時間弱、職場からも2時間弱かかること
・2つを並行すると家事がこれまで通り行き届かなくなる可能性があること
・不妊治療も継続するので、並行する中で子どもができる可能性もあること
そんな相談をし、普通なら反対されるような内容なのに、快く「自分が後悔しないようにやったら良いよ」と言ってくれた夫にとても感謝しています。
でも、夫からひとつだけ言われたことは「何よりも体を大切にして」ということ。
なので、それだけは忘れず、自分を大切にしながら物事を頑張っていこうと思いました。
その後、職場にも相談しました。
・仕事を継続しながら大学院へ行きたいと考えていること
・大学院について
・大学院へ行く理由
・大学院へ通うことになった場合の、会社としてのメリット・デメリット
・大学院へ通うにあたっての、会社への要望 etc
を盛り込んで文書を作成し、上司へ提出しました。
要望として出した内容の中で一番叶えたかったことは、「大学院でもテレワークをさせていただきたい」ということ。
弊社では、テレワークは基本的に「自宅」で行うこととされていて、営業職等でなければ外ではできない規則となっていたのですが、それだと仕事と大学院の両立は難しいと感じたので、大学院でのテレワークを希望しました。
そうすれば、授業の前後や合間に仕事の時間を捻出できるので、どうにか両立が叶うと考えたからです。
私のワガママが詰まった文書は上司である課長から部長へも渡りましたが、ラッキーなことにその要望も通り、大学院への通学許可が降りました。
ただ、社内では仕事と大学院の両立の前例が無かったので、会社としての決定までに多少の時間がかかったも事実です。
なので、許可が降りたのは本当にラッキーでした。
でも、「大学院に通うからといって業務量を減らしたりすることはできない」ともはっきり言われました。(仕方ないし当たり前か)
職場への相談と同時に、受験を決意したことを大学院の先生へ伝えました。
その際、仕事は継続すること、妊活・不妊治療をしていること、子どもができる可能性があることも事前に相談しておきました。
これらに理解を得られないようであれば、大学院はやめておこうと思っていたからです。
伝えた結果、先生も同様に不妊治療を経験して子どもを授かっており、治療内容やタイミングなど共通することが多かったことがわかり、理解してもらえるだけでなく「できる限りのサポートをする」と言ってもらえました。
こんなことはあるのだろうか!と、とても驚きましたが、そんな言葉をいただけたことに感謝し、信じて進もうと思いました。
そして昨年の12月の頭に受験(面接)をしました。
面接は午後でしたが、当日の午前中は不妊治療の採卵の日。
大事なことが同じ日に重なってしまったものの、時間帯がズレていたことに感謝し、スーツを持ち運びしつつ2時間弱の移動をしたりして、どうにかどちらもこなしました。
採卵で何か起きていたら受験に影響が出てしまうという危険性もありましたが、何事もなくホッとしたのを覚えています。
そして今年の1月に入り胚移植を受け、結果、妊娠できました。
ただ、過去2度の流産でも妊娠・心拍確認後の稽留流産だったので、全く安心はできませんでした。
仕事と大学院と妊娠と
今年の2月末、受験結果が出ました。「合格」です。
この頃には妊娠10週になっていました。
これまではニ度とも8〜9週で流産となっていたので、10週まで来れていたことに驚きと感動を覚えつつ、大学院との3両立が現実に迫ってきたことに少し焦りを感じました。
合格を確認した後に入学許可の連絡があり、最終的に入学手続きが必要という場面で、あらためて担当の先生へ妊娠のことを伝えました。
また、職場へも妊娠と大学院合格のことを伝えました。
もちろん上司としては「妊娠してるのに大学院も行くの?」というのが本音だったと思いますが、私としてはできるところまで頑張るつもりだという気持ちを伝えました。
そんな2〜3月の頃、悪阻が本格化していました。
でも、食事が取れなくなるようなひどい悪阻では無く、どうにか日々を過ごすことはできていました。
ただ、切迫気味ということで2週間の自宅安静を強いられてしまい、仕事はどうにかテレワークで凌いでいました。
大学院が始まる4月には、運が良いことに悪阻がほぼ無くなっていました。
お腹はふんわりと大きくなっていたので、入学してすぐに、妊娠ていることに同期は気付いていたようです。
入学後すぐ、担当教員とともに専攻長にも挨拶し、妊娠していることや予定日など必要事項を伝ました。(事前に担当教員が専攻長へ伝えてくれていましたが、あらためて自分の口で伝えに行きました。)
専攻長も複数の子どもを育てていることもあり、妊娠・出産にはサポーティブな感じで話してくれました。本当にありがたかった。。
ニ度の流産を経験していることもあり、無理はしないようにと自分なりに慎重に過ごしていたものの、片道2時間がかかる上での週2〜3回の通学は結構大変でした。
時には会社→大学院、大学院→会社とハシゴしたり。でもハシゴは本当にキツかったので、3〜4回やって終わりにしました。マジで無理は良くないです。笑
さらに、不妊治療のクリニックは卒業したものの不育症のクリニックへは時折受診が必要だったり、妊婦健診を受けに産院へ行ったりして、複数の通院も並行する必要があったので、日々の予定はパンパンでした。
そんな生活をしていたら、6月に入った頃にまた切迫の診断がなされ、2週間の自宅安静となりました。
仕事はテレワークでどうにかなるものの、授業は通学が基本だったので大ピンチ!単位が取れないかも!?と焦りました。
指導教員へ相談したところ「オンラインにしてもらったら」とアドバイスを受け、まずは専攻長へ相談して許可を得てから、各授業の先生へオンラインまたはハイブリッド授業のお願いをして、同期のみんなにも協力を依頼し、どうにか私だけ自宅からオンラインで授業を受けることができました。
このとき、同期の励ましや協力はとても大きく、授業の単位を取ることができたのは担当の先生、授業の先生方、同期のみんなのサポートのおかげでした。ありがたや。。
6〜7月は大学院の課題に追われまくりの日々でした。
業務では健診や健康管理システムに関する業務に追われるとともに引き継ぎの準備もあり、アップアップでした。
1日のスケジュールとしては、、
(とある日の例)
4:45 起床
7:30 大学院到着
7:30〜9:00 院生室でテレワーク
9:00〜12:10 大学院授業
12:00〜13:00 お昼休憩しつつ業務
13:00〜13:20 業務
13:20〜15:00 授業
15:00〜20:00 業務
22:00 帰宅
というような感じです。
上記のような日は夕食が作れないので、お惣菜を買って帰ったり、前日に作っておいたものを食べたりしました。(夫さんごめんなさい)
課題は寝る前や移動中、土日にまとめてやったり。
授業のある日は業務時間をまとめて取れないので、授業がない日に業務をバババッと片付けたり。
日々の業務時間はバラバラで、フルフレックスを最大活用して業務をこなしていました。
こんなギリギリでの生活でしたが、業務の評価は下がることなく維持できたしむしろ良いくらいで、最終的には大学院の単位も取れてました。
そして軽度の妊娠糖尿病になりながらも、初産なのに1週間弱早く、時間的にも良いタイミングでベビさんは無事に生まれてきてくれました。
今考えると、割と無茶な生活をしていたし、無事にここまで来れて、周りの人々に本当に感謝しています。
そして、こんなワガママな生活を許してくれた夫さんにも感謝です。いつもありがとう。
近況
9月に出産したので、そこから育休取得中。修士1年目の後半は休学しています。
来年の春から復学予定で、秋から復職予定です。
夫さんは育休取得しておらず、実家は遠いのでサポートを得られずという状況なので、希望通りに進めるかはまだわかりません。
ただ今は、あっという間に大きくなるベビさんを見守りながら日々を過ごしています。
3ヶ月があっという間に過ぎた感じです。
最後に
この記事を通して皆さんへ何かメッセージがあるかというと、特にありません。笑
ただ、こんな無茶苦茶な過ごし方をしている産業保健職もいるのです、ということをここに記しておきます。
長くダラダラと書いてしまいましたが、最後まで目を通していただき、ありがとうございました。
また明日の方の記事を楽しみに待ちましょう!